■ 王国の朝
とまと王国の朝は、鐘の音や号令によって始まるものではありません。
それは、静けさの中から、ゆっくりと目を覚ます時間です。
夜明け前、空はまだ淡い藍色を残し、星の名残がわずかに瞬いています。
遠くの山の稜線が少しずつ輪郭を取り戻し、冷たい空気の中に、朝の気配が混じり始めます。
最初に動き出すのは、人ではなく自然です。
草葉の先に結んだ露が、かすかな光を受けて震え、
畑に並ぶとまとの葉が、夜露の重みをそっと払い落とすように身じろぎします。
やがて、王国のあちこちで小さな物音が聞こえ始めます。
木製の扉が静かに開く音、
土間を踏みしめる素足の感触、
籠を手に取る、かごめ編みのきしむ音。
農家の人々は、急ぎません。
誰も走らず、誰も声を荒らげない。
それぞれが、それぞれのリズムで、畑へと向かいます。
とまと畑に立つと、まず深く息を吸います。
朝の空気は澄み切っていて、土の匂い、とまとの青い葉の香り、遠くで焚かれ始めた朝餉の煙が、ゆっくりと混ざり合っています。
人々は一株一株の前に立ち止まり、
まるで旧友に会うかのように、静かに声をかけます。
「おはよう」
「今日は少し冷えたな」
「昨日の雨、ちょうどよかっただろう」
それは迷信でも、儀式でもありません。
とまとが生きている存在であることを、当たり前のように受け入れているからこその行為です。
葉の色を確かめ、
茎の張りを指先で感じ、
土の湿り具合をそっと掘り返して確認する。
そこから、その日のすべてが始まります。
水を足すのか、
風を通すのか、
今日はただ見守るだけでいいのか。
とまと王国では、「何もしない」という選択も、立派な仕事です。
育てるとは、手を加えることではなく、必要なときに、必要な分だけ関わることだと、誰もが知っているからです。
太陽が顔を出す頃、とまとの実は朝露をまとって輝き始めます。
赤はより深く、緑はより鮮やかに。
その光景は、毎日見ていても、決して見飽きることがありません。
子どもたちも、やがて目を覚まします。
小さな長靴を履き、眠そうな顔のまま畑にやって来て、
「今日は赤くなった?」と実を覗き込みます。
年長者はそれを微笑ましく見守りながら、こう答えます。
「まだだな。でも、もうすぐだ」
その「もうすぐ」を待つ時間こそが、王国の朝の核心です。
急がず、比べず、結果を急かさない。
成長には、それぞれの朝があることを、この国は知っています。
こうして王国の朝は、
大きな出来事も、劇的な変化もなく、
ただ静かに、確かに、積み重なっていきます。
それは一日の始まりであると同時に、
とまと王国という国が、今日も正しく呼吸している証なのです。

