静かな繁栄と、目に見えぬ歪み
とまと王国は、長い間「理想的な国」として周囲から語られてきた。
戦争はなく、飢えもなく、王は民と同じ土を踏みしめる。
その噂を聞きつけ、近隣諸国から商人や使節が訪れるようになった。
彼らが最初に驚くのは、王宮の質素さだった。
金や宝石で飾られた広間はなく、代わりに乾燥トマトや種子が整然と並ぶ倉庫がある。
次に驚くのは、王の姿である。
王冠よりも日よけ帽子、玉座よりも畑の畝に腰掛ける姿。
だが、彼らが最も驚嘆したのは――トマトの味だった。
「信じられない……これは果物なのか、料理なのか」
「甘いのに、どこか懐かしい」
評判は瞬く間に広がり、
とまと王国のトマトは“赤い奇跡”と呼ばれるようになる。
やがて、王国は選択を迫られる。
輸出の要請。
大量生産の提案。
改良品種の共同開発。
家臣たちは王に進言した。
「王様、これは好機です。国はさらに豊かになります」
リコロ三世は、即答しなかった。
彼は畑を歩き、夜の温室に立ち、土に触れ続けた。
そして、慎重に条件をつけて交易を始めた。
「量より質を落とさぬこと」
「土を傷めぬこと」
「トマトを“速く”育てぬこと」
最初の数年、それは成功した。
国庫は潤い、医療や教育も充実し、暮らしはさらに安定した。
だが――
その繁栄の裏で、ほんの小さな変化が、確実に積み重なっていた。
畑のトマトは、以前よりも揃いすぎていた。
大きさ、色、形、熟す時期――まるで測ったかのように同じ。
農夫の一人が、ぽつりと王に言った。
「王様、育てるのは楽になりました。でも……」
「でも?」
「土の機嫌が、前より分かりにくい気がします」
王はその言葉を忘れなかった。
市場では、トマト料理の数は増えたが、
人々は以前ほど語らなくなっていた。
「このトマトは、あの年の雨が多かった時の味だ」
そうした会話が、少しずつ消えていった。
数字は上向きだった。
輸出量、収穫高、貯蔵量――すべてが過去最高。
だが、リコロ王の胸には、説明できない重さがあった。
「声が……薄い」
それは不安というより、喪失の予感だった。

